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2008-06-08 20:41 | カテゴリ:ショパン
ラファウ・ブレハッチ
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ラファウ・ブレハッチ(Rafał Blechacz, 1985年6月30日 - )は、ポーランドのピアニスト。
2005年の第15回ショパン国際ピアノコンクール優勝者である。

ポーランドのクヤヴィ・ポモージェ県にあるナクウォ・ナド・ノテチョン(人口約2万人)にて、敬虔なクリスチャンの家庭に生まれる。
両親とも音楽家ではないが、ブレハッチは幼い時から教会のオルガンを弾くようになり、教会牧師の勧めで4歳からオルガンを、5歳からピアノを始めた。
クヤヴィ・ポモージェ県の県都ブィドゴシュチュ(ビドゴシチ)にあるルービンシュタイン音楽学校を卒業後、フェリクス・ノヴォヴィエイスキ音楽大学に学び、カタジーナ・ポポヴァ=ズィドロン教授に師事した。

青少年のためのポーランド・ショパンコンクール第2位(1999年)、アルトゥール・ルービンシュタイン国際青少年ピアノ・コンクール第2位(2002年)などを経て、2003年の第5回浜松国際ピアノコンクールで初めて国際コンクールに参加した。
浜松国際コンクールでは、1位該当なしの2位に入賞する。コンクール参加時点まで、ブレハッチの自宅のピアノはアップライトであったため、これを知ったワルシャワ市が日本出発前の2ヶ月間、彼にグランドピアノを貸与したという逸話が残っている。
2位入賞の獲得賞金で、彼は初めて自分のグランドピアノを買うことができた。
浜松コンクールの翌年、2004年に第4回モロッコ国際ピアノコンクールで優勝する。

2005年10月、ラファウ・ブレハッチは第15回ショパン国際ピアノコンクールで優勝した。
彼は同時に、マズルカ賞(ポーランド放送)・ポロネーズ賞(ポーランド・ショパン協会)・コンチェルト賞(ワルシャワ管弦楽団)・ソナタ賞(クリスティアン・ツィマーマン)も併せて総なめにした。
同コンクールで「2位なし」の審査結果が出たのは史上初の出来事であった。
ポーランド人の優勝者は、1975年の第9回コンクールを制したツィマーマン以来6回目(30年ぶり)となる。

2006年、ブレハッチはドイツ・グラモフォンと専属契約を締結した。
ポーランド人の演奏家が同社と専属契約を結んだのは、先輩ピアニストのクリスティアン・ツィマーマン以来2人目となる。
2007年10月、CDデビュー盤としてショパンの「24の前奏曲」が発売された。

ブレハッチはショパン・コンクール優勝後も、2006年・2007年・2009年に来日公演を行った。2007年来日公演時のインタビューで、彼は「バッハのオルガン曲に魅せられて、音楽の探究を始めた」と語っている。

一見したところショパンに雰囲気がよく似ていると指摘される。
ブレハッチがショパンになんとなく似ていることは2005年のショパンコンクールでも話題になった。


ワルツ第7番
(ショパン)
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

フレデリック・フランソワ・ショパンのワルツ第7番嬰ハ短調作品64-2は、作曲者生存中に出版されたワルツの最後のもの。
主題にマズルカが採用されるなど、ショパンの作曲技術の集大成といえる。

Tempo giusto、4分の3拍子。
変則的なロンド形式または複合3部形式(A-B-C-B-A-Bの順に各主題が循環する)。

ショパンのワルツは実際の舞踊と離れ、演奏のみが目的であり、シューマンに「もしワルツに合わせて踊るのであればその相手は貴婦人でなければならない」と評されている。
本作もこの傾向にそっており、華麗なる大円舞曲や華麗なる円舞曲とは対照を成している。

冒頭は6度の和声で左手のワルツリズムに乗って、右手がマズルカを奏でる。

Più mosso (音楽用語)(読み:ピウモッソ)それまでより速く。
空回りするような右手の繰り返し音形。中間部では変ニ長調に転調し、穏やかな半音階。再びpiu mossoの部分が繰り返され、冒頭の主題が更に続く。
最後はまたpiu mossoの音形が繰り返され、消え入るように終わる。

ショパンの作品の中では、比較的演奏が平易であることから、愛好者も多い。

2008-06-07 20:39 | カテゴリ:ショパン
ソン・ヨルム
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

孫 熱音(英語表記:Son Yeol-Eum, 1986年 5月2日- )は韓国・原州市生まれの女性ピアニスト。

略歴
3才からピアノを習い、1998年にデビュー。その後、キム・テジンに師事。
韓国芸術総合学校を卒業し、現在はハノーバー国立音楽大学校に在籍している。
18才の時、ショパンの練習曲(Op 10、Op 25)を全曲CD録音("Universal Music" )。

これまでに、ソウル市立交響楽団、ニューヨーク・フィルハーモニック、NHK交響楽団、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団などと共演している。

コンクール受賞歴
* 1997年…第3回若い音楽家のためのチャイコフスキー国際コンクールに最年少で参加し第2位。
* 1999年…第3回オーベリン国際ピアノ・コンクールに最年少で参加し優勝。
* 2001年…第7回エトリンゲン国際ピアノコンクールに最年少で参加し優勝。
* 2002年…第53回ヴィオッティ国際音楽コンクールに最年少で参加し優勝。
* 2004年…第1回錦湖(クムホ)ミュージシャン・オブ・ザ・イヤー賞を受賞。
* 2005年…第11回アルトゥール・ルービンシュタイン国際ピアノコンクール第3位。
* 2009年…第13回ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで第2位。



練習曲 (ショパン)
フレデリック・ショパン作曲の練習曲(れんしゅうきょく)は、ピアノのための練習曲の中で最も有名なものの一つ。全27曲ある。
練習曲ではあるが音楽的にも完成された作品であり、弾きこなすには高度な技術と芸術的センスが必要である。
演奏会でも取り上げられることが多く、愛称がついている作品も多い。
(なお、愛称はどれもショパン自身によるものではない。)

12の練習曲 Op.25
* 作曲年代:1832年~1836年
* 出版:1837年
全てが3部形式で書かれているなど形式的な弱さが指摘されることがある。

第4番 イ短調
両手スタッカートの練習。左手の跳躍を正確に弾きこなすのも困難な課題の一つ。右手で謎めいた旋律が時にスタッカートで、時にレガートで演奏される。が、右手は左手のスタッカート伴奏も一部受け持っているのであり、両者を一度に右手でこなすのも困難である。なお、この曲のフランス初版のメトロノーム指定は四分音符=120であるが、ドイツ初版では四分音符=160と、指定の食い違いが見られる。(これはフランス初版の誤りであるともいう。)
2008-06-03 18:00 | カテゴリ:ショパン
ラファウ・ブレハッチ
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ラファウ・ブレハッチ(Rafał Blechacz, 1985年6月30日 - )は、ポーランドのピアニスト。
2005年の第15回ショパン国際ピアノコンクール優勝者である。

ポーランドのクヤヴィ・ポモージェ県にあるナクウォ・ナド・ノテチョン(人口約2万人)にて、敬虔なクリスチャンの家庭に生まれる。
両親とも音楽家ではないが、ブレハッチは幼い時から教会のオルガンを弾くようになり、教会牧師の勧めで4歳からオルガンを、5歳からピアノを始めた。
クヤヴィ・ポモージェ県の県都ブィドゴシュチュ(ビドゴシチ)にあるルービンシュタイン音楽学校を卒業後、フェリクス・ノヴォヴィエイスキ音楽大学に学び、カタジーナ・ポポヴァ=ズィドロン教授に師事した。

青少年のためのポーランド・ショパンコンクール第2位(1999年)、アルトゥール・ルービンシュタイン国際青少年ピアノ・コンクール第2位(2002年)などを経て、2003年の第5回浜松国際ピアノコンクールで初めて国際コンクールに参加した。
浜松国際コンクールでは、1位該当なしの2位に入賞する。コンクール参加時点まで、ブレハッチの自宅のピアノはアップライトであったため、これを知ったワルシャワ市が日本出発前の2ヶ月間、彼にグランドピアノを貸与したという逸話が残っている。
2位入賞の獲得賞金で、彼は初めて自分のグランドピアノを買うことができた。
浜松コンクールの翌年、2004年に第4回モロッコ国際ピアノコンクールで優勝する。

2005年10月、ラファウ・ブレハッチは第15回ショパン国際ピアノコンクールで優勝した。
彼は同時に、マズルカ賞(ポーランド放送)・ポロネーズ賞(ポーランド・ショパン協会)・コンチェルト賞(ワルシャワ管弦楽団)・ソナタ賞(クリスティアン・ツィマーマン)も併せて総なめにした。
同コンクールで「2位なし」の審査結果が出たのは史上初の出来事であった。
ポーランド人の優勝者は、1975年の第9回コンクールを制したツィマーマン以来6回目(30年ぶり)となる。

2006年、ブレハッチはドイツ・グラモフォンと専属契約を締結した。
ポーランド人の演奏家が同社と専属契約を結んだのは、先輩ピアニストのクリスティアン・ツィマーマン以来2人目となる。
2007年10月、CDデビュー盤としてショパンの「24の前奏曲」が発売された。

ブレハッチはショパン・コンクール優勝後も、2006年・2007年・2009年に来日公演を行った。
2007年来日公演時のインタビューで、彼は「バッハのオルガン曲に魅せられて、音楽の探究を始めた」と語っている。

一見したところショパンに雰囲気がよく似ていると指摘される。
ブレハッチがショパンになんとなく似ていることは2005年のショパンコンクールでも話題になった。

子犬のワルツ
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

小犬のワルツ(こいぬのワルツ, Valse du Petit Chien)はフレデリック・ショパンが作曲したピアノのためワルツである。
デルフィーヌ・ポトツカ伯爵夫人にささげられた。

* 演奏時間:1-2分。
* 作曲時期:晩年の1846-48年
* 原題
o 原語名:Valse Op.64, No.1
o 日本語名:ワルツ第6番 変ニ長調 作品64-1

作品64は3曲からなっており、第2曲の有名な嬰ハ短調ワルツ、最後の転調色彩感あふれる変イ長調ワルツと対照を成している。
第1曲に第一義明朗な作品、以降の曲に陰鬱深刻なそれを組み合わせるのは作者の常であり、「華麗なる円舞曲」や「軍隊ポロネーズ」も同様の手法で公表されている。

作曲の経緯
子犬が自分の尻尾を追い掛け回している情景にヒントを得て作曲したものだといわれている。
この曲は英語では「1分間ワルツ」(Minute Waltz)という愛称でも親しまれている。

なお中盤の高く短い音は子犬がつけた鈴の音といわれている。

曲の構成
複合三部形式による。
第1部のリズミカルで美しいスケールとトリオの甘いメロディが特徴的。
変ニ長調の右手のモノローグの後に左手のワルツリズムが規則的に現れる。
時に右手は人の心を歌い、左手は指揮者であると評される。

2008-06-02 02:50 | カテゴリ:ショパン
ラン・ラン
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ラン・ラン(Lang Lang〔中国語 :郎朗〕, 1982年6月14日 - )は、中国遼寧省瀋陽出身のピアニスト。

略歴
5歳で瀋陽ピアノ・コンクールに優勝して最初のリサイタルを開く。
北京の中央音楽学院に9歳で入学し、12歳で、ドイツで開かれた第4回エトリンゲン青少年ピアノ・コンクールで最優秀賞および技能賞を獲得。
1995年、13歳のときに北京でショパンの練習曲の全曲演奏を行う。
同年、仙台市で開催された第2回若い音楽家のためのチャイコフスキー国際コンクールに出場してショパンの《ピアノ協奏曲 第2番》を演奏した。
彼の伝記によれば第2番だが、CDのライナーノーツにある彼のインタビューによれば第1番を演奏したとのことである。
平成21年9月20日にこの時の第2番演奏の映像がNHKで放映された。
そして見事優勝し、その模様は当時NHKよりテレビ放映された。
同コンクールの2位は、後にモスクワのチャイコフスキー国際コンクールで優勝した上原彩子 (ピアニスト)であった。
14歳になると、江沢民国家主席も列席した、中国国立交響楽団の処女演奏会に出演。
翌1997年に渡米し、フィラデルフィアのカーティス音楽院でゲイリー・グラフマンに師事した。
この事から、ヨゼフ・ホフマンとホロヴィッツの孫弟子にあたる。

1999年、17歳のとき突破口が訪れる。
ラヴィニア音楽祭のガラ・コンサートで、急病のアンドレ・ワッツの代理として、チャイコフスキーの《ピアノ協奏曲 第1番》を、クリストフ・エッシェンバッハ指揮するシカゴ交響楽団と共演。
これがシカゴ・トリビューン紙によって、将来の嘱望される何年かに一人の逸材と評価されたのである。
2001年、ユーリ・テミルカーノフとの共演によるカーネギー・ホールのデビュー演奏会でチケットは売り切れとなった。
同年、フィラデルフィア管弦楽団と北京に演奏旅行を行い、BBCプロムスへのデビューは絶賛され、タイムズ紙上で「ロイヤル・アルバート・ホールのチケットは売り切れとなり、ランランは聴衆を席巻した」と報じられた。
2003年にプロムスの初日に再出演し、レナード・スラットキンと共演した。

2002年夏に、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭におけるレナード・バーンスタイン賞の最初の受賞者となった。
2004年に、サイモン・ラトルの指揮するベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と共演し、2万3千人の聴衆を集め、この演奏風景は国際的にテレビ放映された。

ボストン交響楽団、ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団、クリーヴランド管弦楽団、デトロイト交響楽団、ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団、サンフランシスコ交響楽団、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、パリ管弦楽団、香港フィルハーモニー管弦楽団、シドニー交響楽団、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団、サンクトペテルブルク・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団など、世界の主要なオーケストラと共演を続けている。
これまで共演してきた指揮者に、ダニエル・バレンボイム、シャルル・デュトワ、クリストフ・エッシェンバッハ、ヴァレリー・ゲルギエフ、マリス・ヤンソンス、ジェイムズ・レヴァイン、ロリン・マゼール、ズービン・メータ、サイモン・ラトル、ヴォルフガング・サヴァリッシュ、ユーリ・テミルカーノフ、マイケル・ティルソン=トーマス、フランツ・ウェルザー=メストなど。
2008年北京五輪開会式での演奏

ラン・ランの自伝は中国全土でベストセラーを記録している。
テラーク・レーベルから移籍し、現在はドイツ・グラモフォンの専属アーティストとなった。
ユニセフ親善大使にも任命されている。

得意とするレパートリーは、チャイコフスキーやショパンのほかに、ラフマニノフがあり、生演奏ではアンコールに中国民謡を好んで弾いている。

近年は、ダニエル・バレンボイムに本格的に師事していて、アルトゥール・ルービンシュタインがバレンボイムに伝授したルバート奏法などを教わっている。

2008年8月8日、北京オリンピックの開会式において、中国の作曲家・葉小綱の協奏曲を演奏した。
2010年より、ベルリンフィルのレジデンスピアニストとしての出演が決定している。
2006年、香港行政府の「優秀人材入境計画」第1号として香港の市民権を獲得。

夜想曲第8番 (ショパン)
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フレデリック・ショパンの夜想曲第8番変ニ長調作品27-2は1835年作曲のピアノ曲。
翌1836年に出版された。献呈はテレーズ・ダボニー伯爵夫人。
非常に美しい曲想でしばしば「貴婦人のノクターン」と呼ばれている。

8分の6拍子。ロンド形式。
半音階を多用した流麗な和声進行で、変ニ長調-変ロ短調-変ホ短調-変ニ長調-イ長調-嬰ハ短調-変ニ長調と切れ目なく同一の主題が続いていく。

装飾音に彩られたパッセージは他の楽器による編曲を許さない華麗なもの。
コーダも曲全体にふさわしい6度の音階進行。

2008-06-02 00:02 | カテゴリ:ショパン
アルトゥール・ルービンシュタイン
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アルトゥール・ルービンシュタイン( Arthur Rubinstein, 1887年1月28日 - 1982年12月20日)は、ポーランド出身のピアニスト。

略歴
前半生はヨーロッパで、後半生はアメリカ合衆国で活躍した。
ショパンの専門家として有名だが、ブラームスやスペインのピアノ音楽も得意とした。
20世紀の代表的なピアニストの1人である。

ウッチのユダヤ人の家庭に生まれる。ワルシャワで勉強し、ベルリンでカール・バルトに師事する。
ヨーゼフ・ヨアヒムにブラームスのピアノ協奏曲第1番の演奏を聴いてもらい、その解釈を激賞される。
1898年にベルリンでヨアヒム指揮の下、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番を演奏しデビュー。
1904年にパリに行き、フランス人作曲家のサン=サーンスやポール・デュカス、ラヴェルらや、ヴァイオリニストのジャック・ティボーと面会する。
アントン・ルービンシュタイン国際ピアノコンクールで優勝するが、ユダヤ人だったために審査員や聴衆から人種差別を受けたと後に語っている。

1906年にニューヨークのカーネギー・ホールで行なったリサイタルは聴衆に支持されたようだが、評論家から批判が相次いだため4年間、演奏活動を中止して自らの技巧・表現に磨きをかけた。
その後アメリカ合衆国やオーストリア、イタリア、ロシア、スペインで演奏旅行を行なった。
特にスペインでは聴衆の圧倒的支持を受け、多数の追加公演を行った。
1912年にはロンドンデビューを果たす。

第一次世界大戦中は主にロンドンに暮らし、ウジェーヌ・イザイの伴奏者を務めた。
1916年から1917年まで、スペインや南米を旅行し、同時代のスペインの作曲家に熱狂して多くの新作を初演する。
1932年にしばらく演奏生活から隠退して、数年のあいだ演奏技巧やレパートリーの改善に取り組んだ。
この年に指揮者エミル・ムリナルスキの娘アニエラと結婚し、4人の子供をもうけた。
娘エヴァは神学者・聖職者・反戦運動家のウィリアム・スローン・コフィン師と結婚し、息子ジョンは俳優となった。
第二次世界大戦中はアメリカ合衆国に暮らし、1946年に米国籍を取得。

1960年ショパン国際ピアノコンクールの審査委員長を務めた。
このときの優勝者がマウリツィオ・ポリーニであり、ルービンシュタインのコメント「我々の誰よりも上手い」により大変有名となった。
1976年「飛蚊症」が原因による視力低下により引退。
引退後、自伝「華麗なる旋律」を執筆。1982年、ジュネーブで死去。

練習曲 (ショパン)
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フレデリック・ショパン作曲の練習曲(れんしゅうきょく)は、ピアノのための練習曲の中で最も有名なものの一つ。全27曲ある。
練習曲ではあるが音楽的にも完成された作品であり、弾きこなすには高度な技術と芸術的センスが必要である。
演奏会でも取り上げられることが多く、愛称がついている作品も多い。
(なお、愛称はどれもショパン自身によるものではない。)

12の練習曲 Op.25
* 作曲年代:1832年~1836年
* 出版:1837年

全てが3部形式で書かれているなど形式的な弱さが指摘されることがある。

第1番 『エオリアン・ハープ』変イ長調
両手とも流れる分散和音だが、ポジションの移動は小さい。
音の列の中から何重もの旋律を浮かび上がらせる練習。『エオリアン・ハープ』と名付けたのはシューマンと言われている。
他にも「牧童」と言われることもある。

エオリアン・ハープ
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エオリアン・ハープ(Aeolian Harp)は弦楽器の一種。
自然に吹く風により音を鳴らす。ギリシャ神話の風神アイオロスに由来する。

ショパンの練習曲Op.25-1を聞いたシューマンの「まるでエオリアンハープを聞いているようだ」という感想から、この曲の愛称として知られる。

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