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2008-06-01 01:42 | カテゴリ:ショパン
ホルヘ・ボレット
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ホルヘ・ボレット(Jorge Bolet, 1914年11月15日 - 1990年10月16日)はピアニスト・指揮者である。
姓名の日本語表記は、一時フランス語読みの「ボレ」と表記されていたが、当人の出身地キューバの公用語であるスペイン語にもとづいて「ボレット」に表記が統一された。

来歴
キューバのハバナに生まれ、フィラデルフィアのカーティス音楽学校にてレオポルド・ゴドフスキーとデイヴィッド・サパートンに師事。
卒業演奏ではショパンのピアノ・ソナタ第3番とゴドフスキーの『こうもり』によるパラフレーズを演奏した。学生時代の貴重な録音には、ブゾーニ版の『ラ・カンパネッラ』が収録されている。
1939年から1942年まで母校カーティス音楽学校で教鞭を執るが、1942年に米軍に入隊し、GHQの一員として日本に派遣された。
日本滞在中に、ギルバート&サリヴァンのオペレッタ『ミカド』の日本初演を指揮した。

ピアニストとして名声に恵まれるようになったのは、ようやく1970年代初頭になってからであり、カーネギーホールでの名演奏によって評価を確かなものにした。
ボレットは、ある批評家が述べたように、「長年の無視に傷ついていた」ものの、まさにあらん限りの能力を発揮した。
その驚異的な演奏は、近年のフィリップス・レコードにおける「20世紀の偉大なるピアニスト」シリーズのCDでも確認することができる。
後にルドルフ・ゼルキンの後任としてカーティス音楽院ピアノ科の主任教授を務めたが、やがてその地位から退き、再び演奏活動に取り組んだ。
なおホルヘ・ボレットは作曲家フランツ・リストの孫弟子にあたる。
1946年まで存命という、リストの弟子の中で特に長生きをしたモーリツ・ローゼンタールに師事したことによる。

人物
ボレットは、とりわけロマン派音楽の大作の演奏や録音によって記憶され、リストとショパンの解釈は特に有名である。
また、トランスクリプションやもの珍しいレパートリーにも精通し、ゴドフスキーの恐ろしく演奏の至難な作品を、その多くを作曲者本人に師事して、自分のものとしていた。

デッカ・レコードと契約して、1978年から主要なレパートリーを録音し続けたが、メリーランド州の国際ピアノ・アーカイヴやBBCにも貴重なライブ音源が秘蔵されている。

夜想曲第15番 (ショパン)
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

フレデリック・ショパンの夜想曲第15番 ヘ短調 作品55-1は1843年作曲。
翌1844年に出版された。
献呈は弟子のジェーン・ウィルヘルミナ・スターリング嬢に対して。

三部形式。ヘ短調。4分の4拍子。

Andante(音楽用語)(読み:アンダンテ)歩くような速さで。
主部は弱起から静かに旋律が始まり、ヘ短調の主題と変イ長調の副楽想が交互に奏される。

中間部は più mosso となり、激しい3連符のユニゾンと力強い和音の対話から始まる。
次に3連符と4分音符からなる伴奏と右手の旋律がさまざまな転調を見せ、クライマックスを迎える。

再現部では主部が短く再現されたのち旋律が3連音に変化し、即興的な発展をみせる。
そして3連符のアルペッジョで上下行を繰り返したあと上行して消え入り、静かな和音の後、アルペッジョの和音が3度繰り返されて終止する。

  



秘密

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