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2008-06-02 00:02 | カテゴリ:ショパン
アルトゥール・ルービンシュタイン
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アルトゥール・ルービンシュタイン( Arthur Rubinstein, 1887年1月28日 - 1982年12月20日)は、ポーランド出身のピアニスト。

略歴
前半生はヨーロッパで、後半生はアメリカ合衆国で活躍した。
ショパンの専門家として有名だが、ブラームスやスペインのピアノ音楽も得意とした。
20世紀の代表的なピアニストの1人である。

ウッチのユダヤ人の家庭に生まれる。ワルシャワで勉強し、ベルリンでカール・バルトに師事する。
ヨーゼフ・ヨアヒムにブラームスのピアノ協奏曲第1番の演奏を聴いてもらい、その解釈を激賞される。
1898年にベルリンでヨアヒム指揮の下、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番を演奏しデビュー。
1904年にパリに行き、フランス人作曲家のサン=サーンスやポール・デュカス、ラヴェルらや、ヴァイオリニストのジャック・ティボーと面会する。
アントン・ルービンシュタイン国際ピアノコンクールで優勝するが、ユダヤ人だったために審査員や聴衆から人種差別を受けたと後に語っている。

1906年にニューヨークのカーネギー・ホールで行なったリサイタルは聴衆に支持されたようだが、評論家から批判が相次いだため4年間、演奏活動を中止して自らの技巧・表現に磨きをかけた。
その後アメリカ合衆国やオーストリア、イタリア、ロシア、スペインで演奏旅行を行なった。
特にスペインでは聴衆の圧倒的支持を受け、多数の追加公演を行った。
1912年にはロンドンデビューを果たす。

第一次世界大戦中は主にロンドンに暮らし、ウジェーヌ・イザイの伴奏者を務めた。
1916年から1917年まで、スペインや南米を旅行し、同時代のスペインの作曲家に熱狂して多くの新作を初演する。
1932年にしばらく演奏生活から隠退して、数年のあいだ演奏技巧やレパートリーの改善に取り組んだ。
この年に指揮者エミル・ムリナルスキの娘アニエラと結婚し、4人の子供をもうけた。
娘エヴァは神学者・聖職者・反戦運動家のウィリアム・スローン・コフィン師と結婚し、息子ジョンは俳優となった。
第二次世界大戦中はアメリカ合衆国に暮らし、1946年に米国籍を取得。

1960年ショパン国際ピアノコンクールの審査委員長を務めた。
このときの優勝者がマウリツィオ・ポリーニであり、ルービンシュタインのコメント「我々の誰よりも上手い」により大変有名となった。
1976年「飛蚊症」が原因による視力低下により引退。
引退後、自伝「華麗なる旋律」を執筆。1982年、ジュネーブで死去。

練習曲 (ショパン)
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

フレデリック・ショパン作曲の練習曲(れんしゅうきょく)は、ピアノのための練習曲の中で最も有名なものの一つ。全27曲ある。
練習曲ではあるが音楽的にも完成された作品であり、弾きこなすには高度な技術と芸術的センスが必要である。
演奏会でも取り上げられることが多く、愛称がついている作品も多い。
(なお、愛称はどれもショパン自身によるものではない。)

12の練習曲 Op.25
* 作曲年代:1832年~1836年
* 出版:1837年

全てが3部形式で書かれているなど形式的な弱さが指摘されることがある。

第1番 『エオリアン・ハープ』変イ長調
両手とも流れる分散和音だが、ポジションの移動は小さい。
音の列の中から何重もの旋律を浮かび上がらせる練習。『エオリアン・ハープ』と名付けたのはシューマンと言われている。
他にも「牧童」と言われることもある。

エオリアン・ハープ
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

エオリアン・ハープ(Aeolian Harp)は弦楽器の一種。
自然に吹く風により音を鳴らす。ギリシャ神話の風神アイオロスに由来する。

ショパンの練習曲Op.25-1を聞いたシューマンの「まるでエオリアンハープを聞いているようだ」という感想から、この曲の愛称として知られる。

  



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